2001年2月1日木曜日

「徳政令」の亡霊に怯える現代日本

今年のNHK 大河ドラマ「北条時宗」は、なかなか快調な滑り出しだ。秩序を重んじ公儀に生きるという、伝統的な侍のイメージとは大きく異なる、どぎついまでに個性的で荒々しい武士がたくさん登場するのが面白い。舞台の鎌倉時代は、いろいろな意味で日本の源流を形づくった時代だが、我々の祖先はもともとこういう人たちであったのだと思うと、なにやら元気が出てくる。

経済史的にみると、鎌倉幕府とは地方地主の権利を朝廷に認めさせた一種の共和政権といえる。幕府の成立はイギリスのマグナ・カルタの調印よりも古く、世界史的にも誇りうるものだ。

一方で、鎌倉時代にも汚点がある。弘安の役で困窮した御家人集団を救うため実施された、すべての借金を棒引きにするという「徳政令」のことである。債務者にとっては、債務の免除は確かに「徳政」かもしれないが、債権者にとっては資産の召し上げであり「悪政」となる。だから「徳政令」とは、「公的権力による、特定の集団からの富の収奪と、別の集団への富の再分配」と定義したほうがよい。

たいていの場合、徳政令の受益者の声の方が大きいので政治的に人気を得やすい。よって鎌倉時代以降、歴代政府は、いろいろ形を変えながらこれを繰り返して来た。

記憶に新しいものは、太平洋戦争後の新円切り替えだが、政府は預金封鎖とインフレで債権者(預金者)の資産を奪い、債務者(政府)の借金を棒引きにした。戦後の「ばらまき行政」にしても、納税者から特定既得権集団への富の再分配であり一種の徳政令だ。魅力のある鎌倉時代ではあるが、以後につながる「徳政令」の前例を作ったのだけは感心しない。

今、積み上がる巨額の財政赤字を抱え、政治家や官僚がこの伝統の「徳政令」の誘惑に駆られるとしても驚くことではない。平成の世に、徳政令をどういう形で具現化させうるかというと、まずはインフレという形での借金の棒引き。すべての国民の資産の実質価値を低下させることで債務者(政府)の借金を棒引きにできる。また資産課税や相続税の徴税強化もある。政府の債務は700 兆円。それに対し日本の個人金融資産は1300 兆円。人はいつかは死ぬので、気長に待ってこれを相続税で召し上げればよいとの安易な発想。だから財政再建になかなか本腰が入らない。

でも、こうした徳政令は、過去には成功したかも知れないが、平成の世には決して成功しないだろう。内外物価の平準化で当分はデフレが続くので、インフレ誘導はやろうとしても難しい。平均寿命はどんどん延びるので、相続税収も期待できない。一番大きな理由は、昔の日本経済は閉鎖経済であったが、今はグローバル経済の時代だということだ。国民と政府の関係は、伝統的な運命共同体的な関係から、間に距離を置いた利害関係に変化しつつある。国民の政府に対する信頼感がいったん低下するや否やキャピタルフライトが始まる。これは諸外国で経験済みのことである。

資本市場のセンチメントがなかなか好転しないのは、納税者から富を集め既得権集団にそれを再配分するという、昔ながらの政治の「徳政令」的体質に、市場が不安を感じているからだと思う。

(橋本尚幸)